ParisTreeはパリで起業して自身のブランドやメソッドを持ち活躍されている女性を応援し 

インタビューを通じて活動内容を紹介します。

 

 

1回目はアーティストでエネルギー療法士の 渡邊 薫さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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Kaoru Watanabe

 

 

 

 

宇宙と魂、光と闇の美しいつづれ織り

 

 

 

 

 

パリで活躍されていらっしゃるの渡邊薫さん

彼女が編み出したCODEMICROCOSMOS®と松果体の覚醒メソッドは パリ在住のマッサージ師さんや 看護師 医師の方達も薫さんのアトリエに通ったり 施術を受けに来るエネルギーワーク パリの幅広い層の方にも支持されています

2015年にこれらのメソッドが誕生した背景には厚手のタピスリーのような

時間と記憶から織り成す深くて精密に構成されたストーリーがありました。

 

 

 

 

 

 

Vol 1 絵の世界 / モードの世界 / 現実の世界

 

 

 

 

 

 

 

Kaoru -エスモードという服飾学校への2年目の進級がきっかけで、1989年にはじめてパリにやってきました。当時、今の仕事とは全く関係のない世界にいました。

幼稚園に入る前から絵を描くのが好きで、画家になるものだと思い込んで大きくなりましたが美大進学の際、

自分の絵に点数をつけられるのが理解できずに進学をやめて、モードの世界に入りました。

当時、カトリック系の女子高校でマザーテレサの活動に共感していたのでモードの世界で一稼ぎをして、

その稼ぎを元に奉仕活動を行うという夢を描き、

エスモードに進路を変更しました。

 

 

 

 

 

1年目は東京の学校で2年目からはパリのエスモードへ

 

 

 

 

 

Kaoru - 一見煌びやかに見えるモードの世界ですが 

花の都パリは、実に質素! 

街で見かけるメインの服装は、みんなシャツにセーター、ジーパンにスニーカーと飾り気がなく、

カルチャーショックを受けました。 

デザイナーの勉強をしに来たけれど、東京で思い描いたモードの世界とパリの現実にギャップを感じ、また絵画の世界に戻りました。

 

 

 

 

 

-薫さんの中で絵とモードの違いとは?

 

 

 

 

 

Kaoru -絵は自分の中をとことん追求していくもので、ある意味究極のエゴイストであり、自分を 掘り下げるワークだと感じていました。 

モードの方はビジネスという意識があったので、多くの人々にメッセージを発信し、それがお金として循環し、そのお金を利用して、奉仕活動ができると思っていました。

 

 

 

 

 モードの先に社会奉仕活動というヴィジョンを描いてモードの世界に飛び込むもその後再び絵の世界に戻った後に日本に一時帰国 パリと東京を行き来する生活の中でその後 フランスに来てから最初の転換点となる出来事が訪れます 

 

 

 

 

 

Kaoru- 写真家だった当時の恋人との間に子供ができて結婚 出産 二人ともアーティストでその間に子供が産まれたので、基本的に子供をどうやって育てるのかわかっていませんでした。 

子供を持つことにまったく憧れがないタイプだったので、

「アーティスト」気質の子育ては、

地に足が付いておらず本当に大変でした。

 

25歳の時に出産 生活のために映像の仕事を行い絵を描くのがだんだん難しくなりました。

 

 

Kaoru-長男がまだハイハイもできない頃、気を抜いて、水彩絵の具を広げたまま絵を描くことに専念していたら、彼は絵の具の元にちゃんと移動していて、チューブの蓋も開けてチュッチュと絵の具を吸っていたこともありました。子供が生まれる前は、油絵やアクリル画を描いていたのですが、この時は、水彩絵の具で救われました。絵の具と同じ真緑色のウンチをしてこの事件は終了!笑

 

 

 

 

Vol 2 自分が宇宙そのもの。。。

 

 

 

 

 

ー映像の撮影と編集の仕事を2011年までメインでされて今のヒーラーのお仕事に出会うきっかけは何だったのですか?

 

 

Kaoru もともと小さい時からエンパシー能力(感情移入/ 共感能力)が強く霊感も強くて人の裏表 が見えてしまう子だった。

喋れない時や歩けない時の記憶もある。

光の存在がよく来てくれ遊んでもらったり、

一緒にいたりしたことはよく覚えている。

母親が部屋に入って来ると光の存在の次元とリンクできなくなるようで、現実に戻され、それがとても嫌でした。

一人でいると別の次元にリンクできたのでとても幸せでした。幼稚園にはいってからはとても辛い思いをしました。

言葉を介してのコミュニケーションが苦手だったのと同時に、自他の感覚がごちゃごちゃにキャッチされた感じです。

 

 

 

 

ー幼稚園から小中高とその自分の感性を持ちながらどうやって学校のシステムの中に入って行ったのですか?

 

 

 

 

Kaoru 最初は地球に来たんだというというショックが大きかった。 見えない世界の方が話し相手になっていました。。

親や家族は 私のことを妙に大人びた子供と怖がってた。

あんまり喋らないのに口を開くと諭してる ところがあったらしい。

幼い頃から、ここに何しに来てるのかが思い出せないのが凄く苦しかった。

何かをするために生まれてきたのに、

何をするためだったかどうしても思い出せない。

それがなにかをずっと探していたのが

今の仕事につながっている。

小学生の時はハイヤーセルフのような自分とは別に感じる存在とずっと会話をしていました。 

中学校に入るぐらいには、そろそろここにも馴染まなくてはと思い人間界の友達を作ろうと努力しました。

そしてそのまま青年反抗期に入り、宇宙の自分が繋がっていた次元と切れ、自分が誰でどこから来たのかを完全に忘れた真っ暗闇の世界にすむことになりました。

当時は、自殺願望がとても強く、生きる喜びは全く見いだすことができませんでした。

社会そのものやシステムに対しての怒りも大きかった。

 

 

 

 

ー自分と社会とのギャプが凄かった。

 

 

 

 

 

Kaoru ギャップは凄いし肉体の中に入っているのが窮屈だから走ったり他の子と遊ぶのが苦手 だった。走ったりジャンプしている時気持ちがそこに行くって思うとそこに行けるんだけど身体が あるから身体を動かさなきゃ行けないって事が分からなかった。

魂だけが飛んで行っちゃて身体 がついていかないとか。。

ジャンプする時に感じるそのギャップがいつも大変だった。

 

 

 

"中学時代の1314歳の時は、死んだらどうなる、意識はどこへ行く、個人と宇宙の関係など気がおかしくなるぐらい考えてたという薫さん"

 

 

 

 

Kaoru そんな時 ある日答えが来たのね、

自分の中に宇宙がすっぽり入っているのを見せてもらった。

 

 

身体の中によく写真で見るような宇宙のイメージ丸ごとをボーンと見せてもらって

あっ私死なないんだ、、永遠なんだ、私はもう宇宙なんだ

というのがわかったの。

 

 

 

 

 

ー自分が宇宙そのもの

 

 

 

 

Kaoru そう。

身体の中を見せてもらって今度は浮いてる感じ、浮いてるんだけど一体なんだよ ね、一個の星ではなく宇宙との一体化を見せてもらって体感してそれはそれで悟ったというか。。

でもそこから日常生活は変わらないでしょ、学校があるし、友達とは付き合ってかなきゃ行けない し両親はいるし制限はあるし社会はあるし。。

だから制限のある社会に対して反抗心が凄く強かった。

親とかよりも社会や世界に対しての反抗心だった。

世の中のシステムを理解できなくて不調和しか

社会に対して感じなかった。

 

 

 

 

ー闇から宇宙へその後また社会の不調和を感じていく。

 

 

 

 

 

Kaoru その不調和の中で生きて行く、

その時にどうしようかと考えた。

芸術的な要素として絵を描こうと。

制限のある言葉よりも 絵って波動だから

説明しなくてもそのまま伝わるから

私の一番いい表現方法だったと思う。

Kaoru 高校に進学してから絵を描くために美大に進学したかったけど画家への道はみんなに反対 されていた。

絵に点数をつけられるよりデザイナーの勉強で絵は描いて続けられる。 デザイナーだったら一つの職業だし仕事をしてモードの職業を通じてメッセージも伝えられる。 そして稼いだお金を社会奉仕活動に使えると思った。チャリティー活動とか子供のための財団を作ってゆきたい気持ちがあったので。。

 

 

 

その後エスモード2年目の時薫さんはパリへ渡る

 

 

 

Kaoru -日本から出たかった思いはずっとあって。

小さい時から私は外にいかなきゃと思っていた ので。

でも職業としてデザイナーの道を選んだ後また自分と向かい合うという絵を選択したんです。

 

 

 

 

ーその自分と向かい合う事は13歳ごろに経験した宇宙を丸ごと見せられた経験とリンクしますか?

 

 

 

 

 

Kaoru 13歳の頃のあの経験は、その後も社会に真剣に馴染もうとしだして忘れていたの。

去年中学の同窓会に行った時 に大人になってこんなことがわかった、と友人に話したら もうすでに中学の時に 同じことを言ってたよ、と友人に言われ人生を体験してわかった事と、13歳の時に人生を経験する前にすでにわかっていたことが同じだったと気付かされた。

 

 

 

 

13歳のときに体感し経験したことがまた蘇ったのが2011年ですか?

 

 

 

Kaoru それは新しい自分の波動に合ったエネルギーヒーリング習得講座を立ち上げた2015年によみがえりました。

霊気を始めたのが2007

 

 

 

 

 

 

Vol 3 つづれ織り鮮やかに 闇から光へ

 

 

 

 

 

 

ー霊気を始めたのは何がきっかけですか?

 

 

 

Kaoru カメラマンをやっていた頃に機材を触ると静電気がひどくて。

もともと身体から発す るエネルギーが強いので。

その前から身体のエネルギーの変化は感じていて

2001年に離婚 してからエネルギーのコントロールができなくなって。

何触っても静電気がすごくて。。 

これはなんとかしなくては!と思ってあるヒーラーさんに会い行きその人からあなた自分でできるわよ、自分で チャクラの調整しなさいと言われて、、あーそうなんだ、と。

その時は全然ピンと来なくて。 

エネルギー療法士が何かとかもわからなかった。

だからその後スルーして何もしなかったんです。

でもますます自分のエネルギーのせいで機材のトラブルがひどくなり、その上細い身体でカメラを担い で背中も痛かったので、健康の事も考えて色々調べ、じゃあ日本人だし霊気っていうのがあるか ら霊気から始めようと思ったのが2007年。

 

 

 

 

 

ーそこで先生になって教えることができるようになったのが2011年、ヒーリングだけではなく、エネルギーワークを教えることにシフト

 

 

 

 

 

Kaoru はい。霊気のセッションは2007年からやっていて2011年に霊気マスターになって 教えられるようになったので映像の仕事を辞めて完全にエネルギーワークに入りました。

2011年は3人目の子を妊娠中だった。

それからさらに自分のエネルギーの変化が2012年から2 014年にたて続けに起こり 2014年にめまいを起こし、中耳炎からくる耳の不調と脳梗塞のような症状 が発生したんです。 

その時3ヶ月間仕事ができなくなって。

立っていられない、寝てないと辛くてしょうがな いという、

という状態でその時自分の脳の松果体が弾けるように目覚めて行くのを感じました。

ようやく調子が良くなりセッションを復活したらもうそれは霊気ではなくなってい て。。

松果体の目覚めとともにセッションで起こること、

繋がるエネルギーが完全に変わり。。 

霊気の時と繋がっているエネルギーが全く違うので、霊気はもう続けられない、と 悩みました。

 

 

自分に嘘をつくことはできないと新しい講座とセッションを立ち上げることに。

 

 

"経済的にも精神的にも、どん底に落ちながら新しいワークとセッションを立ち上げることに。それが2015

ここで松果体の活性化セッションが誕生します。"

 

 

Kaoru でも2015年から2016年までは地獄でしたね。挫折っていうか。。

 

 

ー何に制限を感じていましたか

 

 

Kaoru 今までの収入源を完全に切り離して新しいセッションを立ち上げたわけですから、収入源がなくなった。子供も3人。パートナーともその都度、別れや出会いを繰り返しながら自由に生きてきたので、経済的に一人 精神的に一人 でも子供の面倒は見なきゃ、と、 大変だった。

 

 

 

 

ーお話を聞いていると宇宙とも共鳴し現実世界を同時に生きている。

 

 

 

Kaoru そのバランスが大変ですね。

 

 

 

ー宇宙と現実世界の間を生きる冒険家のようで活力を感じます。

 

 

 

Kaoru 2015年に自分のメソッドCODE micro-cosmos®のテキストを書いている時 13歳の時に体験した宇宙真理と悟りの時にすでにこのテキストの真髄となるメッセージが来てたんだと。

小さい頃からの生き方と人生体験の意味が全部わかったんです。

このメゾットを作るために全部体験してきたんだ、と。

学校のシステムに合わない、

反骨精神

自殺願望 

外国で出産 

子育て 離婚 

裁判

複合家族 、、、

すべての私の生き様はこれを作るためだったと。 セッションに来られた方からどんな体験を話されても、エネルギーをキャッチしてもわたし全部やってるし知ってるのでOK! みたいな、、 共感度の自他の境がないワンネス状態でした。

 

 

 

ー人生で現実に起こりうる全てを全部体験されている。

 

 

 

Kaoru この仕事をするためにすべて体験して来たんだっていうのがわかったんです。

 

 

“CODE micro-cosmos®のスタージュでは 現実生活で体験するネガティブな分離性と二元性そして制限から 本来持っている喜びと調和の世界へと導き古い記憶の情報から繰り返してきた行動パターンや思 い込み変換するチャンスを与えてくれます。 2015年に誕生した松果体の活性化セッションとCODE micro-cosmos ®を中心に活動

 

 

 

-そのほかにも宇宙アトリエや曼荼羅アートという宇宙の真理とアートを組み込んだアトリエもやっていますよね?

 

 

 

Kaoru 一番のきっかけは性的虐待というテーマで身近な子供達の心のケアをする必要があったんです。

精神科医とのセッションでは限度があり、単なるエネルギーセッションでもなにかが違うなと。

それで 絵を描かせたり詩を書かせたりアートの要素を使って、内に秘めた不信感や疑惑、裏切り、絶望など子供たちの心の痛みを徹底的に吐き出させたんです。

そしたら子供達が凄く元気になって。 それが絵とヒーリングをミックスするきっかけで、その後知識を深めたいとアートセラピーの学校に行って講習をしましたが私がやりたいのと ちょっと違っていました。

 

そこで、ヒーリングの要素も加え自分で工夫しながらアトリエを行うようになりました。

人間不信になるほどのショックを受けた子供達に元気になってほしいと思って始めたのがきっかけです。テクニックを習ったから行ったとかアイデアがあったからとかではなく それをやってみて効果があったから始めたんです。

 

 

 

分離から調和へ 子供たちのへの宇宙アトリエに向かって

愛やエネルギーワークの力、そして

アートの手法を用いた表現には大きなヒーリング効果があると確信

 

 

 

 

Kaoru 2015年に起きたパリ同時多発テロ事件の後にもすぐに子供たちを集めて絵を描かせたんです。

その時も反響がありました。

その絵は大きかったのでパリ11区の区役所に贈呈しました。

 

国籍は問わずパリで肩を並べるいろんな人種の子供たちが一緒に絵を描きました。

 

子供たちはみんな愛し合っている。

 

そしてとても敏感で平和を望んでいるんです。

 

社会的に見直さなければいけない事件や考え直さなければいけない出来事と向き合う子供達がこ れからどのように成長して社会で起こった事件が彼らたちのトラウマにならないようにサポート する活動も今後視野に入れています。

 

大人よりも子供の方が分離の感覚が少ない。

分離の感覚が少ないまま成長してほしい。

地球に無条件の愛と平和をもたらしてほしい。

 

子供達の素晴らしい才能を大人が壊さないように伸ばしていく場所を作っていきたい。

私たちはここで平和を望んでることを主張したいから。

将来的には瞑想やエネルギーワーク、

宇宙の真理を大切にして育てる学校のような空間をつくりたいという夢があります。

 

 

 

<私の人生は何をどこで学んで使っているのか。。。ということではなく、人生丸ごと使って何をするために地球にやってきたのか?という質問があっ たので。> と薫さん。

 

 

小さい頃に感じた生き辛さからこの質問を軸に織られた薫さんの人生のつづれ織りは 愛、光、闇、痛み、美、傷  が巧みに絡み絡まり分離から調和へと深いハーモニーを奏で続 ける終わりのない宇宙への永遠のつづれ織りです。

 

 

(下記の写真は子供達の絵と薫さんと長男のルイスさん)

 

 

 

ki-wa

Kaoru Watanabe

Psyco-énergéticienne

06 21 36 01 14

 

http://www.ki-wa.fr